古代(人類の誕生から武士の登場まで)

人類の誕生

人類はアフリカ大陸の草原で誕生した。約400万年前には石を打って作った打製石器を使う猿人、約20万年前には現代人のルーツとなる新人が登場した。その新人の一部は、約10万年前にアフリカを出て、アジア、ヨーロッパ、南アメリカへ移動して行った。

約4万年前に、まだ大陸と地続きだった日本列島にも人々が入ってきて、打製石器を用いて狩猟や採集をして暮らしていた。当時の日本列島にはマンモスやオオツノジカ、ナウマン象などの大型草食動物がいて、人々の恰好の獲物となっていた。

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中世(平氏の台頭から応仁の乱まで)

平氏の台頭と滅亡

平安時代の後期、朝廷の中で激しい勢力争いが起こったが、争いを解決するために加担した武士の間で戦争が起こった。保元(ほうげん)の乱平治(へいじ)の乱という大きな戦乱を経て、平清盛率いる平氏(へいし)が武士の中で最も有力な勢力となった。平氏は朝廷の高い地位に就き、多くの土地や地方をおさめ、一時は「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほどの栄華を極めた。

ところが、やがて朝廷や武士の中で平氏への反発が強まり、不満を持った武士が全国で次々と兵をあげた。かつて平治の乱で敗れたが、力をたくわえていた源氏(げんじ)が各地の合戦で平氏を討ち、ついに最後の舞台である壇ノ浦で平氏は滅亡した。源氏と平氏の間で起こった一連の合戦を、源平合戦(げんぺいかっせん)と呼ぶ。

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近世(戦国時代から尊皇攘夷運動まで)

戦国時代へ突入

戦国大名は、従来の幕府の一角として公認された守護大名とは異なり、領国経営の責任を全面的に負うことが求められた。商工業を発展させ、領国内を警備し、ほかの大名との争いに備えた。領国内の武士を家臣として取り入れ、屋敷の周囲には家臣や商工業者を住まわせる城下町をつくった。

このような戦国大名が全国で争った時代を、戦国時代と呼ぶ。

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近代(黒船来航から第二次世界大戦まで)

黒船来航

1853年、4隻の軍艦(黒船)が浦賀(神奈川県)沖に現れた。軍艦を率いるアメリカの海軍提督ペリーは、日本に開国と通商を求める大統領の国書を持っていた。それまでにもロシアから開国を求められたときは拒絶をしたが、ペリーの強硬な姿勢に、幕府は対処し切れなくなった。

幕府は自分たちだけで判断するのではなく、朝廷や諸大名に相談をした。これは幕府にとっては失策であり、諸大名が発言力を得て朝廷の権威も高まり、幕府の統制力を下げることになった。

翌年、再びペリーがやって来て、交渉の末に幕府は開国を受け入れ、日米和親条約を結んだ。下田(静岡県)と函館に港を開き、アメリカの船に物資補給をし、下田にアメリカ領事を置くこととなった。

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現代(日本占領から現在まで)

占領下の日本

日本の降伏後、アメリカ軍を主体とする連合国軍による日本占領が始まった。マッカーサー率いるGHQ(連合国軍総司令部)が日本政府に指令を出し、日本政府がそれを実行していった。陸海軍は解散させられ、外地の人々は日本へ引き上げた。

1946年、東京裁判(極東国際軍事裁判)が開かれた。この裁判は、根拠となる法律も無く、裁判長や判事がすべて戦勝国側の人間で、日本側の提出した証拠資料がことごとく却下されるという、極めて一方的なものであった。結局、政治家や軍の指導者が死刑、終身刑などの判決を受けた。

各界の指導者が公職追放され、婦人参政権の付与、労働組合法の制定、教育制度改革などの民主化が行われ、財閥解体、農地改革も進められた。日本が二度とアメリカの脅威とならないよう、最先端の科学技術の研究も禁止された。

GHQはさらに、大日本帝国憲法の改正を強く求めて日本政府に憲法草案を示し、11月3日、日本国憲法が公布された。この憲法では、天皇は日本の象徴と定められ、国民主権、国権の最高機関としての国会、議院内閣制、基本的人権の尊重、戦争の放棄などが明記された。

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